1[立石道標→岩倉神社]
アクセス・帰還方法
※記事作成時点※本記録に記載の移動手段は実踏調査時の一例です。バスの運行本数や接続、駐車場の利用可否などは時期により変動するため、最新の交通情報をご確認のうえ安全に行動してください。
往路:開始地点まで
400m程度
帰路:開始地点へ
通過経路(旧村落・宿駅・小名)
(15 町村)※本経路の旧地名・村落名は、古地図(国絵図等)や風土記などの古文書・記録からの類推・比定を含みます。
アクセス関連
名所・旧跡
土生池坂道標
庚申塔(高瀬)
垣倉道標
粟生の巌
岩倉神社のご神体。高さ25m。
白崎海洋公園
“日本のエーゲ海”と称される景勝地。
九鬼ノ登五輪石塔
顯国神社
御霊神社
興国寺
臨済宗の寺院。鷲峰山興国寺(由良開山とも)。 金山寺味噌の伝来と醤油の発祥の地。
深専寺
浄土宗の寺院。 上皇らの熊野御幸の際に宿泊地として使用されていた。
尾岩坂
野坂
道見当たらず。
九鬼の峠
峠より東側に道見当たらず。
和歌山湯浅ワイナリー
角長(醤油醸造)
湯浅醤油(醤油醸造/カフェ)
観光スポット
土生池坂道標
庚申塔(高瀬)
垣倉道標
粟生の巌
岩倉神社のご神体。高さ25m。
白崎海洋公園
“日本のエーゲ海”と称される景勝地。
九鬼ノ登五輪石塔
顯国神社
御霊神社
興国寺
臨済宗の寺院。鷲峰山興国寺(由良開山とも)。 金山寺味噌の伝来と醤油の発祥の地。
深専寺
浄土宗の寺院。 上皇らの熊野御幸の際に宿泊地として使用されていた。
尾岩坂
野坂
道見当たらず。
九鬼の峠
峠より東側に道見当たらず。
和歌山湯浅ワイナリー
角長(醤油醸造)
湯浅醤油(醤油醸造/カフェ)
休憩箇所
注意箇所
道迷い注意1
【注意】この先、尾岩坂下り方向はルートが不明瞭。道迷いのリスク有、ここでの強行は避け、南の尾岩坂隧道経由もしくは林道に沿って尾坂峠を下ることを推奨。
道迷い注意2
【注意】この先、旧道は入口から出口まで道が無い。ルート不明瞭につき、国道480号の通行を強く推奨。
道迷い注意3
【注意】この先、旧道は入口から出口まで道がほぼなくルート不明瞭。また、川には橋が無く渡渉の必要があり、国道480号の通行を推奨。
有田川渡渉地点
【注意】橋がないので渡渉の必要有。通行非推奨。

JR湯浅駅

立石道標 正面「きみゐてら(紀三井寺)」:和歌山方面 側面「すぐ熊野道」:熊野大社方面

立石道標 正面「いせかうやみち(伊勢高野道)」:高野山方面

立石道標

立石茶屋 休憩のほか、時期によってイベント展示なども開催されているようです。

湯浅大宮 顯国神社

顯国神社 拝殿(湯浅町指定文化財)

土生池坂道標


垣倉道標


有田川町の町並み

御霊神社 拝殿






道の駅 明恵ふるさと館

道の駅似合った観光MAP 以降国道480号沿いを延々と進みます。


野坂峠(仮称)にておそらく六地蔵尊 人の往来がなく廃道となっていることが伺えます。

九鬼の峠にて 石積の形状と平地の幅より昔は果樹園であったと予想されます。

九鬼の峠のコル部分に五輪塔婆がありました。

対岸の九鬼の峠を下った先にある有田川。橋はないので渡渉でした。 推奨しません。寒かった。

岩倉神社の御神体である粟生の巌です。

岩倉神社

岩倉神社

JR藤並駅 バスから電車に乗り換えて駐車場に戻ります。

湯浅駅前イルミネーション

湯浅駅前イルミネーション

和歌山湯浅ワイナリーに寄りました。

湯浅では現存最古の醤油蔵である角長(かどちょう)です。

角長醤油資料館・職人蔵 無料で見学できました。


湯浅駅周辺 熊野古道沿い

湯浅駅舎にあった観光MAP

JR湯浅駅の旧駅舎は「湯浅米醤」という飲食店になっています。 おむすびや湯浅の醤油を使ったメニューが楽しめます。

左:紀州鴨そぼろたまご山椒おむすび 右:釜揚げしらす佃煮おむすび おいしかったです。

国道42号沿いにある湯浅醤油 醤油や金山寺味噌の販売のほか工場見学やカフェもありました。

甘口醤油の萬醤を買いました。

興国寺 このお寺の開祖である「法燈円明国師」が宋から持ち帰った金山寺味噌から醤油が派生したと伝えられているようです。

興国寺の境内にある天狗堂には巨大な天狗面が どうやら秀吉の紀州征伐の際に焼失した伽藍を天狗が一夜のうちに再建したという伝説があるようです。

以降白崎海洋公園の写真です。 日本のエーゲ海と称される石灰岩の景勝地です。






タイムライン
管理人雑記
1.調査の背景と歩き方
歩行するにあたって調査を行いましたが、記録が見当たらないため、歩行ルートの決定に1980年発行の『歴史の道調査報告書』を用いることにしました。資料上のルート名は高野参詣道です。当サイトでは高野参詣道の内、有田川流域を遡上する街道であるという点を重視して有田街道と基本的には呼称します。接続する高野山への参詣道も「有田龍神道」ですのでそれに合わせました。他の呼称として、有田道や高野裏街道などもあるようですね。
ただ、近年の道路工事や地形の崩れによって、当時の資料と現在の様子にはかなりズレがあります。今回の記録にある旧道区間(尾岩坂・野坂など)も、開発やヤブ化、橋の消失で道が消えている場所が多く、正確にトレースできているとは言えません。同じルートを歩かれる場合は、無理のない判断をお願いします。
2.起点選び:紀伊路からの分岐
有田川の河口(港)から始まるルートもありますが、今回は紀伊路とのつながりを重視して「立石道標」をスタート地点にしました。宿場町だった湯浅から分岐し、当時の人々が有田川をさかのぼって高野山を目指した「参詣道」としてのルートを検証したかったためです。港からの道も楽しそうなので、機会があれば歩いてみたいですね。
3.有田川流域の景観
川沿いをさかのぼっていくと、谷あいの地形に沿って広がる懐かしい風景が続きます。歩行ルート沿いの特徴をいくつか紹介します。
- 立石道標周辺:
熊野古道(紀伊路)と有田街道が交わる立石道標の周辺は、かつて宿場が置かれ、多くの旅人でにぎわった場所です。すぐ東の山に城を構えていた武士団・湯浅氏は、この交通の要所を拠点にしながら、上流の阿弖河荘(あてがわのしょう)へと勢力を広げていきました。
熊野古道は湯浅村の道町通を通っており、参詣道は道標から東に向かい寺町通から山家町通を抜けて顯国神社前を通り藤並荘方面へ向かいます。 - 顯国神社:
顯国神社は「湯淺村」「別所村」「青木村」「山田村」の氏神です。神社前の通りは古い熊野古道沿いでした。秋の湯浅祭では、かつて各地区(組)から華やかに飾られた「組馬(町馬)」が奉納され、馬場で競馬(馬かけ)などが行われていましたが、近年は馬の減少に伴い武者行列や子ども神輿へと姿を変えています。また、夏と秋の両祭礼で奉納される「三面獅子舞」(和歌山県指定無形民俗文化財)では、鼻の高い面の「オニ」と牙のある面の「ワニ」が獅子を退治するという独特の演舞が今に伝えられています。 - 有田の蜜柑:
平地が少ないこの地域では、山の斜面も見事に活用されています。『紀伊続風土記』に「遂に在田蜜柑の名 天下に顕れて其利の大なる事他郡に其比なし」と記されているように、江戸時代後期にはすでに有田みかんの名は全国に轟いていました。現在も斜面に築かれた見事な石垣のみかん畑が広がっています。 - 岩倉神社:
岩倉神社は「岩野河村」「川口村」「谷村」「粟生村」の氏神として信仰を集めてきました。かつては旧暦9月2日に流鏑馬が執り行われていた歴史があり、現在も例祭における「まとうけの儀式」にその名残をとどめているようです。
4.地形と祈りの境界:粟生の巌

今回の歩行のゴール地点、中流域からいよいよ深い山間部へと入る結節点に、岩倉神社のご神体である「粟生の巌(あおのいわや)」がそびえ立っています。高さ約25mの石灰岩の断崖は迫力満点です。
5.現地の道の状況

- 廃道化の進行:
尾岩坂・野坂の周辺は人の手が入っておらず完全に荒れており、足場の不安定なトラバースが続く危険な状態でした。 - 川によるルート寸断:
九鬼の峠から岩倉神社へ下る道は完全に消失していました。最終的にはルートを探しつつ、有田川を直接渡渉(水深約20cm)して対岸へ渡ることになりました。
6.今回のまとめ
歩行記録がほとんど見当たらない有田街道。昔の資料とにらめっこしながらの手探りの山行となりました。川沿いの道は時代とともに大きく付け替えられていることが多いので、ある程度の厳しさは覚悟していましたが、峠越えの荒れ具合と渡渉にはかなり苦戦させられました。
次回は、阿弖河荘の核心部であり龍神街道との交差路に当たる清水を抜け、高野七口の一つである有田龍神道へと接続する花園まで歩き、有田街道を踏破する予定です。
参考資料
- 有田川町教育委員会(2019)『蘭島及び三田・清水の農山村景観保存計画』有田川町.
- 和歌山県文化財研究会(編)(1980)『南海道・大和街道 他』(歴史の道調査報告書;2)和歌山県教育委員会.
- 仁井田好古(著)(1970)『紀伊続風土記 第2輯』歴史図書社.
- 陸地測量部(1941)『五万分一地形図「海南」(由良要塞近傍五號・軍事極秘)』参謀本部.
- 地理調査所(1947)『五万分一地形図「海南」(明治44年測図・昭和8年要部修正測図)』地理調査所.
